2020/06/14 12:19


4年前に乳がんが発覚した時、病気自体にショックを受けたのは勿論ですが、Baliで生活していた私は長期で日本に帰らなくてはならない事にストレスを感じました。
結果、治療に向き合い、自分自身も治療に参加しようと思えた事であっという間に時は過ぎ去り、11ヶ月後にはBaliに戻る事が出来ました。

乳がん。今、胸を温存する方も多いと思います。
これは早期発見は勿論ですが、そうではなくてもガンのタイプによるようです。知人でステージ1で全摘した方もいらっしゃいました。
私の場合、術前に抗ガン剤を使用したのですが、かなり進行していた事、また乳頭に近かった事も有り、抗ガン剤が良く効きガンは本当に小さくなりましたが全摘しました。
再発のリスクを少しでも減らす為です。

ちなみに私のタイプは『HER2』と言い、女性ホルモンにより増殖する性質をもたず(ホルモン受容体陰性)、かつ、がんが増えるスピードが速い(HER2陽性)という特徴をもちます。 HER2陽性とは、がん細胞の増殖に関わるHER2タンパクあるいはHER2遺伝子を過剰にもっていることを意味します。

がんが増えるスピードが早いので、以前はかなり再発等も多く、かなり危険なタイプだったようです。今はハーセプチンという分指標的薬が治療に使える事になり、これが良く効いているようです。

私の治療スケジュールは、
5月バリで検査
6月日本で再検査
7月告知
8月抗ガン剤開始(3週間毎に4回x薬を変更し2回)
1月抗ガン剤終了
2月手術
3月分指標的薬開始(3週間毎に14回)
3月放射線(25日)
4月放射線終了

分指標的薬が3週間毎に有るのですがとにかく1度Baliに帰りたいと、5月に帰える事にしました。その際、先生が薬を打つ期間を調整して下さってなんとか一月半帰りました。その後は3週間日本、3週間バリというのを繰り返しました。
この頃、丁度LCCのAir Asiaがバリ、成田間直行で飛ぶ事になり、安いチケットを購入する事ができ、本当にお世話になりました。

そんな事も助けになり、放射線終了後からは分指標的薬3週毎の合間にBaliに戻り、私にとっての日常が戻って来ました。
私はガンが発覚した時、何故かBaliを撤退するという事は考えませんでした。「絶対に諦めない」という執着では無く、「普通に家に帰ろう」と言った感覚だったと思います。

病気になると出来ない事が増え、今迄と生活が変わってしまう事が恐怖であったりします。でも、実際は、諦めなければ意外と今迄と変わらず普通に生活出来るんだなと思いました。